安達太良山の話
アキコです。
いやーなかなか日記って毎日書けないもんだね。暇がない。電車通勤してれば少しはできるんだろうけど。そう考えるとちゃんと毎日書いてるオカンは大したもんだわ。
で、結局遡り日記になるけど、やっと相方と休みが合って、行ってきたよ。安達太良。
5月19日、山開きの日にも行って、今シーズン2回目。つか、今シーズンまだ安達太良しか行ってない。
というのも、相方が岳温泉に新しくできる、ハイカーやトレイルランナー向けの旅館のクラウドファンディングに出資して、そのお礼に1泊無料にしてもらえることになったからだ。
安達太良はいつも前泊は車中泊がお決まりだから、宿には2人とも2連休の時ぐらいしか後泊で泊まれない。その際の常宿はせせらぎ荘だ。ただ、せせらぎ荘はリーズナブルな分、とれない時が多い。その時のために、常宿がもうひとつできて良かったよね、という話をしていたら…。
その旅館からメールで画像が来て、びっくり。
これ、せせらぎ荘じゃん!
実は、せせらぎ荘がいつのまにか閉鎖してしまい、そこを買い取り新しくしたのが、今回の旅館、マウント・インだったのだ!(笑)
2人して、古いけど、ズコー!!ですよ。
で、そのマウント・インは7月1日にオープンするとのことだったから、それ以降で第3希望まで出せるみたいだよ、と。それで第1希望を、久々に相方と休みが合う、海の日の連休で出したのだ。
私としては、もうそろそろ他の山に色々と行きたいんだけどね(^_^;)。まいっか、勝手知ったる山だし、何しろ車中泊以外が久々でしかもタダだし。
…と思っていたのに、マウント・インから待てど暮らせど連絡がないまま、第1希望日から1週間を切った。もしここがダメなら、連休だし、今からでも他の手段をとらないと宿がとれない!と思い、私は密かに他の宿のチェックを始めた。
その話を相方にしようと思っていたら、私が話す前に、相方が先に私におんなじ事を言ってきた。
ただ違うのは、調べていた場所だ。私はせっかくだからと、日光とか尾瀬とか、他の山近辺を調べていたが、相方は何の疑いもなく、岳温泉で調べていた(^_^;)。結局安達太良なんかーい!って突っ込んだら、理由はこうだ。
先日の奥久慈トレイルレースで、 岳温泉旅館協同組合の人が来てて、日帰り温泉無料券を3枚もらっていたのだ。その期限が8月25日まで。行ける時に行かなきゃもったいないだろ?って。
いやいやいや、8月25日までの間に、安達太良は絶対もう一回ぐらい行くって!って突っ込もうと思ったけど、まいっか…と、無料券は帰りにマウント・インで使う事にして、宿の件は相方に任した。
で、見つけたのが、相方が以前日帰り温泉で利用した事があるという櫟平ホテルだ。ここは平日のプランが凄くおトクで、平日休みの時にとっておきたかったんだけど…まぁ今回も連休の割には朝食付きで安かったし、いいんじゃない?と。じゃ、予約するよ!ポチっ!と、予約完了。
で、ポチってから、その直後にマウント・インから海の日OKですよーなんてメール来たりしてねー!なんて笑って言ってたら、ピロリーンとメール。
マウント・インから。海の日OKですよー。
ほらー!!言わんこっちゃない!!(>_<)
櫟平キャンセルしてよ、今ならキャンセル料かかんないから、って言ったのに、相方はそーゆーとこ義理堅いというか面倒くさがりというか、いーじゃんもう、マウント・インの連絡が遅いのが悪い!と。で、マウント・インに日にち変えてーとメールしてくれた。次の希望は私の8月のシフトが出てからじゃないと決められないしね。
で、当日。前泊は私が夜勤明けで、帰り次第出発。だけどここで思いも寄らない事態。
数日前から左下奥の歯茎が腫れ始め、夜も眠れないほどの激痛。これは以前にもあり、かかりつけの歯医者に行ったら、ただの歯槽膿漏のせいだから、とロキソプロフェンが処方されて終わっただけだった。いつのまにか治ってたけど、暫く痛かった。それがまた再発したのだ。今まさに歯槽膿漏の治療中で、今回も行ったばかりで左下奥は異常なしだったのに(行ったその晩から痛み出した)何なんだろう?と。眠気と痛みで、移動中は終始無言。
まぁ、前泊の楽しみ、いつものプラントの惣菜コーナーに行ったらテンションアゲアゲに戻ったけどね。薬も効いてきたし。
で、そのプラントでトイレ寄って、衝撃の事実発覚ですよ。
なんと、生理が来てましたよ。
5ヶ月ぶりですよ(笑)
あとから調べてわかったんだが、更年期の「ゆらぎ」中の生理はホルモンバランスが相当崩れるらしく、歯茎痛もその一因とか。だから以前の歯茎痛の時期を調べたら、何と5ヶ月前の生理中だった!なーるほどねー。
まぁ何とか鎮痛剤で痛みは抑えて、温泉楽しみました。宴も楽しみました。1時間で寝落ちチーン、でしたが。(笑)
当日朝は、あいにくの雨。起きて外を見た瞬間、相方お決まりの「行くのやめよっかなー」が出ましたが、予定では曇り、そして風が全然ないとのこと。こんなことも滅多にないからいこうよ!と説得。
ただ、朝ごはん付きのプランだったため、朝ごはんもしっかり食べてチェックアウトしてからだと、時間的にはもう遅め。なので、馬車道コースのピストンとなりました。
ミスト程度の霧雨で気温もちょうど良く、風がないのが珍しかった。相方は初めてかもって言っていた。なので、せっかくだから乳首山頂まで行きましたよ。
そして滝巡りして(そこで思いっきりコケたけど)のんびり、安達太良ハイキング(笑)終了。マウント・インでお風呂入って帰ろー、と。
中はまだバリアフリーの工事中だったけど、外にはウッドデッキ、ロビーにはしゃれたバーが出来てた。でもそれ以外は、まだせせらぎ荘のまんまだった(笑)それに、客が誰もいなくて、貸し切り状態だったよ。ちょうど上がったところで一人、入ってきた。
ここはタトゥーにはうるさくない所で、女風呂にはなかったけど、男風呂には「そーゆーお客様もいるからご了承ください」って貼り紙があったとか。でも「暴力団お断り」の貼り紙もあって、普通の人からしたらその線引きは難しいだろうなーって思った。
で、出てきたらもう相方がロビーで待ってて、次の予約を8/4にしてもらった。来年3月末までに、あともう一泊タダにしてもらえるんだって。ふたりで1万円しか出してないのに…(^_^;)
そしたら、後から相方が話してたけど、ロビーで私を待ってる間に、受付の人に「クラウドファンディングで出資した者ですけど…」と、うっかり口を滑らせてしまったら、オフィスからもスタッフがわらわらと全員出てきてしまって、そりゃもう感謝感謝の大騒ぎだったらしく。「俺たったの1万円しか出してないのに、こんな大ごとになっちゃって〜、もう間が持たなくなっちゃって〜、早くアキコ出てきてくれよ〜って泣きそうになったよ〜」とか言うから大爆笑さ。
スタッフたちも、後から調べたら「あいつ1万円しか出してねぇじゃん!」なんて言ってるかもしれないし、確かにちょっと恥ずかしい(笑)
ということで、次回は8/4-5。バーがあるならバーで飲んでもいいしね。楽しみです。
足枷外れた話
アキコです。
もう先月のことなんだが、これは記しておくべき、憶えておくべきことだから、今更だが綴っておく。
先月で、ついに借金がゼロになった。
18年。長かった。
もう後悔先に立たずなんだから、あれがあって今があると思えば良いのだが、
20年前の私は、ホント心底アホだったと思う。
最初はクレジットカードのキャッシングから始まって、それが返せなくなってモ◯⚪︎◯から融資した。2001年だ。最終的には多分、200万まで行ったと思う。
最初の頃はU銀行のATMで返済してた。でも数ヶ月目、返済日が1日過ぎただけで、督促の電話がかかってきた。あれが何だかゾッとしたのを憶えている。あの時改めて、いくらCMやってる銀行系だと言っても、金融は金融なんだと思い知らされて、それからは毎月きちんと同じ日に返済して(最初の頃は確か10日だったかな)、それから電話は18年で一度も来たことがない。
でも稼ぎの少ない東京での一人暮らしだったから、毎月殆ど元金返済にしかならず、さらにバカなことに06年か07年頃に、ピアノを買うためにさらに8万借りた。そのピアノも殆ど弾かずに結局¥5,000で売った。
クレジットカードでリボ払いで使って返済できずに毎月遅延、家賃も滞納。お父さんが作ってくれた20万の定期預金をマイナスにし、戻してもらってはすぐに全部マイナスにし。生命保険の貸付金にも全額手を出し、返済できずに毎年利息だけ返済…。
ホント、地獄だったわ。お金ない、お金ない。これからどうしよう…毎日そんなことばっかり考えてた。その頃の某モの返済シミュレーションでは完済は50代後半で、それを見てさらに落ち込んで。
結婚すれば生活も楽になるじゃない、なんて軽く言う人もいたけど、結局男も借金抱えた女となんか結婚したくないわけで。それが一番大きかったのかな…。
最後まで借金してたことは家族に言わなかったけど、気付いてて言わなかっただけなんだろう。あれだけ金遣いが荒ければ、気付かない訳はない。
だから、これこそ結果論だけど、どうしてもっと早く帰って来る決断をしなかったんだろう。家族は当然、自分でもそう思ってる。
確かに、都会暮らしは楽しかった。自由だった。友達もたくさんできた。あの時上京しなければ、今の自分がいなかったのは確か。特に茅ヶ崎なんて、一生シングルでも孤独死してもいいからずっといたいぐらい、いいとこだった。だから、この歳までズルズル引きずっちゃったんだろう。
色んな理由つけて、17年と2ヶ月ぶりにとうとうUターンしてきた訳だけど、真の理由は、もう借金返済が限界だったから。ホントそんだけ。
完済したら、また茅ヶ崎に戻る気マンマンだったから。相方に出会うまではね。
お父さんに車を買ってもらったから、車代の返済が3万、生活費が2万で月5万の支出。これまでの家賃とほぼ同額で、それ以上に食費と光熱費がかからなかったのがやっぱり大きかった。田舎に来て出かける機会も減ったから、無駄な支出も少なくて、まずギリで返済に月3万当てられた。それまで元金返済しかできずに、15年間まったく減ってなかった額が、少しずつ減っていった。少しずつ4万、5万と返せる月もでき、返済額が増えれば金利も下がるから、ホント冷凍庫に入ってた氷が常温解凍されてくみたいに、あれよあれよと減っていった。
だけど去年の夏、こんな時に歯のトラブル。差し歯交換で20万かかることに。借金返済に必死で貯金がないから、またお父さんにアタマ下げて…1年の返済計画をたてた。
だけどやはり去年の夏、思いがけない事が。あれだけ逃げ回っていた生命保険の更新をついに断念したところ、前の担当が極悪すぎたことがわかり、とてもいいプランを考えてくれて更新。そしたらなんと、貸付金がゼロになった。まずここでひとつ、長年の足枷が外れた。
そしてもっと思いがけないのは、去年暮れのお父さんの突然の急死だ。いきなり、車と歯の借金がゼロになった。真新しい足枷が途端に外れた。
そして今年6月1日、残りの額3万6千円強を支払って、ついに一番長く額の大きかった借金の返済を終えた。Uターンしてちょうど3年。一番大きい足枷が、ついに外れた。
要するに、3年で返せるはずの借金に18年もかけていたというわけで、それこそ過払金なんて幾ら払ったことやら…。請求なんかしないけどね。ほぼ全額弁護士に持ってかれるから。
ほんとにこれで終わってるんだろうなって半信半疑だったけど、某モから「返済が終了した方へ」って限度額変更のSMSが来て、ああホントに終わったんだなって思った。随分あっさりだなと思ったけど、住所変更の届けは出してないしメアドもブロックしてるから、連絡の手段がこれしかないんだろうなと。でも、不思議と電話は全然ないのね。携帯番号は22年前からまったく変わってないのに。
あとは、ずっとマイナス状態の、お父さんが作った定期預金も、今月中に解約してしまう予定。悪いねお父さん。
ちと小さい足枷だけど、これでぜーんぶ、外れるよ。晴れて自由の身だよ。
家族でも知らない(と言うか、私からは言ってない)私の借金を、うちの相方は知っている。付き合うことになって、一番最初に話したからだ。というか、今まで付き合って来た人には、いつも一番最初に借金のことは話してた。隠し事は嫌だから。だから、何だかんだでそれも一因だったのだろう。
ただ今までの人とうちの相方と違ったのは、「2019年の7月頃には完済する」と、明確な返済計画も伝えたことと、既に私に返済能力があったことだ。
そしてちゃんと、有言実行したよ。真っ先に報告した。「あ、そ」で終わったけど。笑
今、世間を賑わせているのは「老後2千万」問題。今からでも間に合うように、これからは貯金だ。給料少ないけど、今後相方とつましくてもささやかな老後を送れれば、それに越したことはない。
でも老後のことは、今考えなくてもいいや。まずは、相方との今後が先だから。
貯金がやっと7桁になった、令和初の初夏の夜でございました。
切実な話
アキコです。
今日は職場の先輩の紹介で、フラ教室に体験に行きました。初フラです。
ただ、今日は教えられる先生がいないということで、ほぼ見学。無料体験は1回限りということだったが、来週もう一回来てください、とのことで行くことにした。先生が3人くらい揃うから、初心者に個別で付ける先生がいるよ、ということ。でも、夜勤入りの日なんだよなぁ〜😣
そのフラ体験で気づいたこと。大きな鏡で自分の全身の姿を見て。
ホント、太ってしまったなぁ…と。
帰ってから涼しくなったので、いつものコースに走りに行った。いつものフラット10kコースなのに…
3kで止まってしまった。そして、6kでギブ。
こんなこと、初めて。10kも走れなくなってる!
すんごい…ショックだった😭
私の体重の最重記録は17歳の時。その時を超えてはいないけど、もう迫る勢いだ。しかもあの時はまだ若かったから、半年ぐらいで元に戻った。でも、今は違う。明らかに、脂肪のつき方が違う。代謝も落ちてる。
腰痛もひどい。去年のUTを腰痛でDNFして以来、痛みは増すばかり。何をしても治らない。痛いから走らない。走らないと、太る。
負のスパイラルにはまってしまった…😱
食事量を減らしているのに、逆に体重は増える。ちょっと食べただけで2キロも増える。あれは何なんだろう?
とりあえず、マジ本気でやらないと。どうにかしないと。
頑張ります。
お見舞いの話
アキコです。
今日は休み。職場の先輩のお見舞いに行ってきた。いつも飲みに行く女子会仲間。
仲間は私含め4人。他3人はみんな私よりずっと年上で、大ベテラン。ずっと3人で飲みに行っていたところ、私が仲間入りした。ずっと年下で新人の私を、よく迎え入れてくれたなと。
なかなか4人全員が揃うことがなく、久しぶりに4人が揃って飲みに行ったのは9日前。宴もたけなわとなった頃、ひとりの先輩が、実はみんなに告白することがあると突然言い出した。4人中一番勤続年数が長い彼女。まさか、辞めちゃうとか…?と勘ぐった。しかし彼女は笑顔で全然予想だにしなかったことを、しかもすごくさらっと言った。
「乳がんが見つかって来週手術なの」
みんな一瞬、言葉を失っちゃった。そしてみんな、はっと我に返って同時に発した言葉は、
「飲んでる場合かっ!」
彼女は笑ってたし、聞けば超早期発見で、腫瘍は1センチ程度とのこと。人間ドックから2週間、発見、結果通知、入院、手術まで1ヶ月足らず。3ヶ月かかったという話も聞いたというから、随分段取りが早かったね、と。
3日前まで仕事して、おととい入院、検査。そして昨日手術。今日は一日安静で、明日、退院。で、来週末から仕事復帰。
いやいや、早くね?と。
術後はリハビリが必要だから、むしろ仕事した方がいいんだって。もちろんまだ夜勤は無理だけど、そんでもタフだなぁ…と思った。終始ニコニコ、あっけらかーんとしてて。
ただ、そんな彼女が一瞬だけ、表情を曇らせたのを、私たちは見逃さなかった。
それは、先の飲み会の席で。乳がんを告白した時の、旦那さんの反応の話をした時だ。
旦那さんはただ一言言っただけだったそう。
「日頃から不摂生してるからだ」
不摂生といっても、本当にたまに私たちと飲みに行く程度で、夜勤だって家計を助けるため。乳がんは元々彼女の家系でもあるそう。それを、普段から大酒飲みでヘビースモーカーである旦那さんにそう言われて、励ましや慰めのような言葉何一つないのはやはり頭に来た、と。旦那さんに見せるために用意してた入院手続き等の資料を、目の前で破り捨てたそうだ。後から病院に無くしたからって言って、また資料もらったんだよ〜って笑ってたけど、涙目になっていた。
乳がんが見つかったことよりも、こっちの方がずっとショックだったんだろうなって。
それから旦那さんとは口をきいてないそうで、入院する日も黙って出てきたと言っていたけど、お見舞いには来たと聞いて、安心した。彼女はお母さんも同居で元気だし、娘一家も近所で孫も2人もいるし、横浜にいる息子さんもお見舞いに来たそうだし、仲介も沢山いるから、旦那さんとも自然と仲直りするだろうね。まぁきっと、旦那さんもテンパったんだろうね。
入院してそばにいなくなって初めて、ありがたみを知るんだよそういう旦那って。
彼女は大丈夫だろう。発見から手術まで早かったし小さかったし。体力もあるから、すぐ元気になるだろう。そしたら盛大に快気祝いして、思いっきり旦那さんの愚痴をこぼしてすっきりしてほしい。
女は、強くあるべきだね。今回、姐さんに教えてもらったよ。
誕生日の話
アキコです。
昨日、誕生日を迎えました。
某アイドルグループと同じ数だけのトシになりました。
どっちのグループ?って、どっちでもえーわ。
昨日は私も相方も休み。それは前々からわかっていたことだったのに、相方はこの日何にも予定を入れなかった。だから私もあえて入れなかった。どんなサプライズを用意してるのかと思ってたよ。
びっくりするほど、何にもなかったよ。
天気が悪かったのもあったけど、近所のスーパーに買い物に行ったのと、家でゴロゴロしただけ。
拍子抜け。
あ、超近所にあじさい見に行ったな。
プレゼントは、開ける前からわかってしまって笑えた。
クリスマスに、私が相方にホカオネのシューズをあげたので、今度は相方が私に、ホカオネのシューズのお返し。
なんとなくそんな予感がしてたから、あえて自分で買わなかった。笑
しかも、プレゼントを入れる袋が、昨年の私の誕生日からずっと使い回し。もちろん、次は11月の相方の誕生日に使われる予定。笑
夜はたこ焼きパーティー。ケーキはコンビニのチーズケーキ。腹一杯になって眠くなって、8時過ぎに寝た。
4年前まで、私は誕生日をひとりで過ごしていた。いつも夜勤明けで、コージーコーナーでケーキを買って、録画したテレビを見ながら、夕方には酔い潰れて寝る。2011年の人生で最悪の誕生日以降、4年間ずっとそうして過ごした。
特に何にもなくても、2人で過ごす誕生日が、こんなに幸せだとは思わなかった。本当に、田舎に帰ってきて良かったと思う。
この幸せが、ずっと続くといいと思えたことが、最高のプレゼントだったのでした。
れすとらん「S」の話
アキコです。
今日は、相方がいない日。
アネキも旅行中で留守、アネキの相方も仕事。実家で久々にオカンと2人かぁ、と思って帰ったら、
「アキコ来週誕生日だから、「S」に行こう」だって。
れすとらん「S」は、実家から車で10分ぐらいのところにある、「ザ・昭和」な洋食レストラン。オカンいわく、この町に引っ越してきた50数年前には既にあったそうだ。我が家もそれこそ50年近く、通い続けている。
まだファミレスとかない時代、外食は特別な「イベント」だった。親戚が集まる時は、ばあちゃんちで長テーブルとご馳走を並べる、「秘密のケンミンSHOW」とかでよく見るあの光景、あのスタイルだが、家族だけでの誕生日や入学祝い、卒業祝いなどの「特別な日」は、この「S」へ行くのがお決まりだった。うちの相方を両親に初披露したのも、ここだった 。笑
しかも、私が知る限りでのンン十年間で、メニューも味も殆ど変わっていない。そして、いっつも混んでいる。
ここは国道の交差点の角にあるが、その斜め向かいにも、レストランがあった。昔はいけすに魚が泳いでいるのがウリの和食レストランだった。たまたま「S」が休みだった時に、一度きりしか行っていない。潰れた。
その後、レッドロブスターになったり、びっくりドンキーになったりしたが、「S」はまったく動じなかった。ついには、そこはとうとうレストランですらなくなり、高層マンションになった。「S」の独り勝ちである。
現在のオカンと私の定番メニューは、えびドリアセット。ブリブリのえびとチーズがたっぷり、クリーミーなホワイトソースの下は、なんとケチャップライス。サラダ、ドリンク、シャーベットかコーヒーゼリーがついて¥1,200とコスパも素晴らしい。プラス¥90でドリンクにバニラアイス乗っけてフロートにもしてくれる。私はいつもアイスティーフロートだ。
ただ、ドリアセットは昔からあったのだろうか、それは誰も覚えていない。私たち家族は昔はいつも、鉄板ジュ〜、のハンバーグステーキセットだったからだ。
食事療法で肉禁になってしまった親父が、これなら食えるとたまたま見つけたのが、えびドリアだった。それからずっと、親父は死ぬまでえびドリア。
親父からひと口もらったオカンがハマり、オカンからひと口もらった私がハマり。多分、オカンも私も、死ぬまでえびドリア。笑
そして、これだけ家族で長く通い続けていると、どうしても思い出してしまうことがある。
ハンバーグステーキセットを頼むと、パンかライスがついてくる。オカンはいつも、勝手に全員パンにする。そして、そのパンは食べずに持ち帰るのだ。
子供心に、私はそのオカンの行為が死ぬほどイヤだった。残すのもったいないから少しだけ…とかなら仕方ないが、始めっから持ち帰り前提だからね。8個も。
しかもそのパン(バターロール)、翌朝ゴハンと一緒に蒸し器で蒸されて、シワッシワのネッチョネチョで食卓に登場する。ゴハンつぶびっしり付いて。ちなみにこのゴハン一緒蒸しパンは、給食で残ったコッペパンがスタンダードである。
当時はオカンのあのあさましさがイヤだったが、自分が今オバちゃんになって改めて思うのは、あの頃のオカンは今の私よりずっと若い。あさましかったと言うより、たくましかったんだな、と。つか、昔の人はオバちゃん道入るの早過ぎ。30代でオバちゃんパーマだし。
そして事件は起きた。それは私が小学2年生の時。その日もオカンはパンをハンカチにくるんだ(そーハンカチでくるむんだよあの人)。よく見たらそれはハンカチじゃなく、私の給食用のナプキンだった。たまたまあったから持って来た、と。
私はそのオカン手作りのナプキンが大のお気に入りで、5枚のナプキンのどれを何曜日に使うかまで決めていた。オカンが持って来たのは「火曜日」のナプキンだった。
それだけでも8歳のアキコはご立腹だったというのに、オカンはやらかした。
パンを思っきし持ち帰り忘れたのだ。私の「火曜日」ナプキンでくるんだまんま。しかも気づいたのが翌朝ときた。
とーぜん、持って帰る気マンマンだったパンを「忘れました」なんて、恥ずかしくて店に言えるわきゃないし、私の大のお気に入りの1WEEKナプキンは火曜日に穴が空くしで、アキコ大激怒ですよ。ボーっと生きてんじゃねーよですよ。
「S」に来て、その事件のあったテーブルに案内されるたびに、オカンとその話題になる。もうンン十年も。笑
親父がいなくなり、家族4人で来ることはもうなくなってしまった「S」。
しかし先のGW中、初めて「新しい家族」で「S」に来た。オカンと、アネキの相方と、私の相方、5人。誕生日か近いオカンは、それこそ「誕生日席」にポジショニングした。
親父がいるうちに、6人全員がこの「S」に揃うことは叶わなかったけど、うちの相方は、親父に変わってうちの家族になったのかもね。
なんせ2人、誕生日おんなじだから。笑
はじめまして
アキコです。
来週、誕生日を迎える。
正直、もう嬉しくない誕生日。
最近、切実に感じてきた。
歳とってきたなぁって。
記憶力も衰えてきた。
憶えてないなーってこと、増えてきた。
だから、残しとかなきゃって思うようになって、始めることにした。
今までは、写真だけで辿ってた。
あれ、いつだったっけ?って思う時は、写真を辿ると日時と場所がわかって、それでやんわりその時の記憶が蘇ってくる。
昔は、写真もきちんと整理してた。
デジカメで撮って、PCにSDカードぶっさして、カテゴリ別にフォルダ細かく作って。
今は撮りっぱ。だから捜すのすら大変。んで、もーいーわめんどくさい、ってなる。
全部スマホのせいだな。って、こうしてどんどん脱線していく。笑
んま、相方への証拠にもなるしね。相方はもっとひどい。9割方「そだったっけ?」で話が終わる。こーゆーことあったんよ、っての、残しとかないとね。画面見せんのは無理だけど。老眼で全然読めないから。笑
うちの母は、日記とまではいかないけど、大学ノートに毎日何か書いてる。もうン十年も。私たち家族は「ザ・回顧録ノート」と呼んでいる。1ページを定規で4列×5行に線引いて分割。1ページで20日分。で、そのひとマスに、その日あったことをすごくシンプルに書く。どんなに大きな出来事があっても。「午後◯時◯分、お父さん天国行った」とかね。
そんなんでも、すごく役に立ってる。私が実家に帰った日とか、震度◯の地震があったとか、いろいろ書いてる。見開きでほぼひと月分だから、見返しやすいし。
いいアイデアだとは思うけど、私はそこまでマメじゃないから(^_^;)手が空いた時、スマホでちょいちょいがいいかなと。
でもツイッターじゃ書くとこ少ない。こうしてすぐ脱線するから。笑
FBは日記書くとこでもつぶやくとこでもないし。いいねもコメントも何もしない既読スルー、一番タチ悪いタイプ。笑
いーじゃん、その人の近況報告なんだから。元気にしてんなふーん。それ確認できりゃさ。
で、書いてるうちにあっちゅーまに時間過ぎた。
そんな感じで、これから綴って行きます。
アキコの回顧録。笑